寺嶋陸也〜記憶する音〜プログラム・ノート
- 5月14日
- 読了時間: 5分
by 廻 由美子

【新しい耳】@B-tech Japan 2026
〜モダン・タイムス〜第3弾!
2026年5月16日(土)寺嶋陸也(ピアノ)
〜記憶する音〜
音は時代を記憶し、決して忘れさせない。激動と闇を超え、音が、記憶を語り出す。
マヌエル・デ・ファリャ:デュカスの墓のために (1935)
フェデリコ・モンポウ:前奏曲第5番 (1930)
前奏曲第6番「左手のために」(1930)
前奏曲第7番「星の棕櫚」(1931)
ハンス・アイスラー:子どものためのピアノ曲集(1935)
Ⅰ.主題と変奏 Ⅱ.7つのピアノ曲集
ソナチネ「グラドゥス・アド・パルナスム」作品44(1934)
吉田隆子:カノーネ (1931)
譚歌 (1937)
清瀬保二:琉球舞踊(1936)
ベーラ・バルトーク:6つのブルガリア・リズムのダンス(「ミクロコスモス」第6巻より)(1937~8)
いよいよ今週末、5月16日(土)は寺嶋陸也さんのピアノ・ソロ〜記憶する音〜です!
プログラム・ノートを配信いたしますので、イメージをさらに膨らませていただければ幸いです。
このプログラム・ノートを書くにあたり、寺嶋さんのプログラムの組み立て方の凄さを改めて思い知ることとなりました。
1930年代の作品が並んでいます。作曲家たちが何を言おうとしたのか、何を記憶し、何を残したのか、今の時代から見つめることの大切さを伝えてくるようです。
「新しい耳」vol.22 寺嶋陸也〜記憶する音〜
プログラム・ノート
廻 由美子
世界恐慌、大量の失業者、近づいてくるファシズム、戦争。
そんなことを考えもせずにスウィング・ジャズを聴きながらタキシードとドレスでシャンパン・グラスを傾ける富裕層。裏道では飢えに苦しむ失業者たちが残飯を漁る・・・
100年近く前の光景は、現在を鏡のように映し出しているかもしれない。
では、鏡の中に入ってみよう。
マヌエル・ド・ファリャ:デュカスの墓のために(1935)
この作品はスペイン内戦勃発のまさに前年に書かれている。この頃のファリャは社交も避け、独自の世界に住んでいたと言われる。師、友人、恩人を兼ね備えたポール・デュカスの死(1935)を悼んで作られたこの作品は、ピアノの前に座ったファリャがデュカスの魂と静かに対話し、湧き上がる響きに呼応しながら書いているようだ。
フェデリコ・モンポウ:前奏曲第5番(1930)、第6番「左手のために」(1930)第7番(星の棕櫚)(1931)
どこの文化も多面的であるが、スペインの文化も「情熱的」だけでは片付けられない。静謐で詩的な世界もまたスペインである。モンポウの生まれたカタルーニャ地方は、フランコ政権下で言語や文化の弾圧にあったが、彼は静かに音楽を作り続け、音楽でカタルーニャの言語を話し続けた。
ハンス・アイスラー:子供のためのピアノ曲集(1935)
I.主題と変奏、II.7つのピアノ曲集/ソナチネ「グラドゥス・アド・パルナスム」作品44(1934)
常に社会や政治に関心を持ち、ブレヒトと共同作業をしていたアイスラーが子供のための曲を書く、となると、いわゆる「バイエル」などの教本とはだいぶ違ってくるだろう。すごいのは、アイスラーは「子供とはこんなものだ」と決めつけていないところだ。子供扱いせず、子供たちを、音楽での「対話」を通じて、自らの考えを持つ「人格」に育てるべく書いているように感じられる。アイスラーなら子供とでも社会について真剣に話してくれるだろう。
吉田隆子:カノーネ(1931)、譚歌(1937)
1910年生まれの吉田隆子は経済的にも豊かで、短髪、洋装のモダン・ガールであり、意見を持ち行動する知的女性であった。人形劇、新劇にも興味を持ち、次第に社会活動に身を投じ、4度も警察に検挙されるという「実績」を持つ。
「カノーネ」は短いカノンだが、目の覚めるようなモダンな音楽である。
「カノーネ」と「譚歌」の間に吉田は結婚、離婚、生涯にわたる不倫相手との出会い、活動による逮捕、投獄などがあり、「譚歌」を書いた時期はもはやモダンを通り越し、傷を負っても立ちむかう、プロレタリア作曲家である。
清瀬保二:琉球舞踊(1936)
武満徹がプライヴェートに師事したという清瀬保二は、吉田隆子よりも10年早く1900年に生まれている。清瀬もまた、経済的に恵まれていた。西洋音楽に心震えながらも「民族派」の作曲家であり、お金持ちでありながら石川啄木の「はたらけど、はたらけど・・・」の歌曲を書くなど、広い視点を持つ知的作曲家であった。
「琉球舞踊」は琉球の音階を駆使して書かれたものであるが、彼の知性は感性と見事に結びつき、筆の速さを感じさせる爽快さは清瀬独特の魅力である。
ベーラ・バルトーク:6つのブルガリア・リズムのダンス(ミクロコスモス第6巻より)(1937〜8)
前述のアイスラーと同じく、バルトークの「ミクロコスモス」全6巻は子供の教育のために書かれている。子供の教育とはいつの世も大問題で、どういう未来になるかはそれで決まる。
バルトークは、「ミクロコスモス」にたくさんの民俗音楽の要素を入れていった。ハンガリーはもちろん、ルーマニア、スロバキア、ブルガリア、アラブなど。この曲集はまるでさまざまな木の実や種子の入ったパンのようである。
バルトークは1931年の手紙の中でこう述べている。
「(私が)つねに努力している真の理想はこの地上の各民族がお互いに兄弟になるということです。この理想、この考え方のために自分の作品を通してできるだけのことをする、これが私の私に課した命題です。」(ある芸術家の人間像―バルトークの手紙と記録―羽仁協子訳編)
2026年5月8日・記 |
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