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シェーンベルク「架空庭園の書」

by 廻 由美子

シェーンベルクの連作歌曲「架空庭園の書」、その官能的な音楽とは?

前回「シェーンベルクと周りの人々」はこちら

 

さて、前回は「1908年に妻と友人に裏切られたシェーンベルクは、大変な創作意欲を見せる」というところまでお話しました。

 

創作エネルギーがどこから来るのかはというのは、まさに神秘ですね。

 

苦難の年、1908年から1909年にかけて、シェーンベルクは連作歌曲集「架空庭園の書」を作曲します。

 

これはシューベルトやシューマンの連作歌曲集につらなる傑作です。この歌曲集を創作することで、シェーンベルクは自らの道を明確に見出したのです。

 

 詩はシュテファン・ゲオルゲ(1868〜1933)の3部からなる同名の詩(1893~94)から取られています。

 

さて、ゲオルゲの詩はどういうものか、というと、古代バビロンにあったと言われる「空中庭園」をインスピレーションの源泉として編まれていく官能的な愛の詩ですが、シェーンベルクはその中から、第2部の、男女の出会い、接近、成就、心が離れ、そして別離、という15篇を選んで作曲しています。

 

シェーンベルクもかなり手痛い目に合いましたが、ゲオルゲさんご自身も、1892年にイダ・コブレンツという女性に恋して、その後、失恋の憂き目にあう、などあったようです。

 

個人的な恋愛経験が、詩にどこまで反映するのかは分かりませんが、ゲオルゲが書いた詩の言葉は、「楽園」だの「薔薇」だの「甘い果実」だのと「いかにも」な言葉が並べられ、芳香を放っています。

 

官能が盛り上がるところでは、書くのも憚られるくらいですが、と言いながらその部分の大意を書きますと、

 

「美しい花々 ビロードのような羊歯 そしてその真ん中にある白くて柔らかな鈴

濡れた唇は まるで甘い果実のよう」

 

なあんて言っているのであります。

 

さて、「詩」と「音楽」の関係についてはさまざまなことが言われていますし、専門家の方も多数いらっしゃるので、言わぬが花、というところですが、私としてはシェーンベルクが音楽論で「音楽と詩の関連性」について書いた文章がいちばん心に響きます。

(文献:シェーンベルク音楽論選 / 上田昭訳 ちくま学芸文庫)

 

シェーンベルクの文章によると彼は「詩の最初の語句の響きの影響を受け」「作曲の恍惚状態にまかせて筋を掴もうとすることさえもしないで多くの歌曲を作曲」したとのことです。

 

ゲオルグの詩についても「完全にその響きだけから理解したのであった」などと書いています。

 

さすが、響きに敏感な音楽家の言葉です。

 

「『架空庭園の書』の2、3 曲を1日で書き上げたこともあった」と凄いことをシレッと言っていますし、言葉の響きに興奮して、すごい勢いで作曲するシェーンベルクが見えるようです。

 

内容よりも、響き、と聞いて、詩人は怒るでしょうか。

いや、本当の詩人は怒らないような気がします。

 

だってニーチェが「すべての芸術が究極に目指すものは音楽である」と言ったそうですし。

 

さて、そんな「架空庭園の書」ですが、この作品を上演するコンサートは

 

「新しい耳」@B-tech

 

2024年11月24日(日)

工藤あかね(ソプラノ) x 廻 由美子(ピアノ)

〜失われた楽園を求めて〜


 E.シュルホフ:5つの歌 op.32(1919)

A. ツエムリンスキー:12の歌曲 op.27 より8〜12番(1937〜38)

A.シェーンベルク:架空庭園の書(1908~1909)

 

チケットはこちら

 

 です。限定25席ですので、お早めにご予約ださい。

  


廻 由美子

2024年3月8日・記


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